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岩楯:自己紹介を兼ねて皆さんと佐賀との繋がりについて話してみましょうか。
安東:では、私から。北九州市小倉の生まれで、就職を機に大阪へ行き、そこで、太良町出身の美由紀という妻に心をわしづかみにされました(笑)。結婚の挨拶のために初めて妻の実家を訪ねたら、今度は蟹と牡蠣にわしづかみにされ…(笑)。太良町は星空がすごくきれいで、中尾の棚田の米も最高に美味しくて、すごく好きになりました。
大阪に戻った後も、もやもやっとしたものが心にあって、農業に興味を持つようになり、吉野ヶ里町の農業法人に就職して農業の勉強をした後、心機一転、妻のふるさと太良でアスパラ農家として起業しました。 -
岩楯さんの取材必需品
この SAGA LIFE DESIGN NOTE では
「佐賀」と「東京(都市部)」を
比較することで、
この先のライフデザインを考えます。
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佐賀での仕事はどうですか?
『他県への転勤がなく
安定している』賢太さん:「母の病気がきっかけでUターンを決めました。やっぱり母のそばについていたかったから。前職が大企業の製造メーカーだったので、佐賀での職探しは、人数が多く、人と競争しながら切磋琢磨できる職場を希望したら、地元に工場を持つ大手の半導体メーカーに就職することができました。他県への転勤もなく、安定している会社に就職でき、前職の経験が活かされてよかったと思っています」
佐賀での暮らしはどうですか?
『家庭を築き、
趣味のバスケも楽しんで。
充実そのもの!』賢太さん:「Uターン後、妻と結婚して二人の子どもに恵まれ、マイホームを建てることもできました。地元の仲間と一緒に好きなバスケも趣味で続けることができ、楽しく幸せに暮らしています。子どもたちの成長を見守りながら、定年まで働き続けたいと思っています」
佐賀での子育てはどうですか?
『家のまわりで
昆虫採集ができる』あゆみさん:「夫婦共働きですが、学校が終わった後の学童保育も充実していて、勉強や遊び、色々な活動が楽しいらしく、娘はとても気に入っています。塾やピアノなど習い事の教室も周辺に色々あります。子どもが急に熱を出した時は、近くにいる家族がフォローしてくれるので、とても助かっています。息子は、今、虫捕りに夢中!家のすぐ前にある田んぼや畑でバッタを探しています。やはり地元っていいなと思います」
佐賀に思うことは?
『佐賀以外の暮らしは
もう考えられない』賢太さん:若い時に都会へ出たので、佐賀を出たいなと思う人の気持ちは分かるつもりです。でも、だからこそ、佐賀での暮らしの良さもずっと佐賀にいる人より感じているかもしれません。今、佐賀を出ようかどうか迷っている人がいたら、『残った方がいいよ』って言ってあげたい。生活しやすい、子育てしやすい、友達も近くにいるって最高ですよ!」
『生活しやすい、
子育てしやすい佐賀が大好き』あゆみさん:「生まれてからずっと佐賀。『もし、佐賀を出て都会で暮らしていたらどうなっていたのだろう?』って考えることがたまにありますが、答えはいつも佐賀で暮らすことに全く悔いなしです。都会に出ている友人が帰省するたびに『佐賀には何もないね』と言っていたのに、最近は『やっぱり佐賀はいいね』と言っています。両親や兄弟がそばにいて、家族・友人がいて、アットホーム感たっぷりの佐賀が大好きです」
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東京での暮らしはどうですか?
『子育てしやすく
治安がいい場所を探した』「家庭を持った今は渋谷区で生活しています。渋谷区は保育料も安く、近くに緑の多い公園も充実して、家の周辺には商店街がいくつもあって静かで住みやすいんですよ。暮らしは便利ですが、やはり、佐賀にいた頃のような青空や星空はなかなか見ることができません。空気も断然佐賀の方が美味しいですよ」
東京での子育てはどうですか?
『東京での子育ては
お金が必要だと思う』「実は、一人目ができた時に、自分が育った環境で子育てをしたくてUターンを考えたのですが、今の仕事を辞める選択はできませんでした。今は二人の子育て中ですが、習い事や塾の選択肢、文化や芸術に触れる機会が多いという面では都会の方がいいと思いますが、お金が必要になりますね。休日は、近くの公園に遊びに出かけたり郊外へキャンプへ出かけます。学びも遊びも環境が整っていることがメリットでもありデメリットにもなると思っています。というのも、里帰りしたら、近所の子たちと遊ぶじゃないですか。その時、その辺にあるもので遊びを創り出している佐賀っ子をうちの子たちはじいっと見ていたんです。あ、都会の子は与えられることに慣れているんだな、と思いました。」
佐賀を離れて思うことは?
『東京で頑張れるのは、
帰る場所があるから』「自分は基本的に佐賀が大好き!将来的には絶対に佐賀に帰るつもりです。親の老後を看たいのもありますが、四季を感じながら山や川へぶらっと出かけてのんびりしたいです。今、東京で気を張って頑張れるのは、帰れる場所があるからこそ。サガン鳥栖の応援をしている時、佐賀のチームが頑張っていると思うと元気をもらえる気がします」
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門脇:私は東京生まれなんですが、親が転勤族だったので、3歳でスリランカへ渡ってまた東京。そして小学1年生の途中から伊勢へ。伊勢の自然に囲まれて、山や海、川を駆け回って遊んでいた頃、面白い先生と出会いました。その先生と一緒に水の一滴がしたたり落ちるところから海へ行きつくまでの水の調査をしたことで、すごくきれいな水が、人が住むエリアに入ったら汚れ、海に垂れ流しになることを知り、子どもながらに「人間ってひどいことするなー」と衝撃を受けました。でも、海に流れた水がまた水蒸気になって空にのぼり、雨となって大地に降って、また海へと流れて循環しますよね。ということは、すべての源は山にあるんだ!山さえ押さえておけば、その下を豊かにできるんだという発想になって、大人になったら山を買うぞって思っていました。
安東:子どものころからそういう考えを持つって、凄すぎる…。
門脇:山があれば、木が切れる、木があれば家が建てられる、山には水もあって畑もあるから生きていけるじゃん、と考えていました。大人になったら、ふるさとと呼べる場所を探そうとずっと思っていたら、富士町の地域おこし協力隊の募集を見つけたので、当時婚約者だった夫と申し込み、佐賀に移住してきました。
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安東さんのポキポキアスパラ
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佐々木:実は、4人の中では自分だけUターンになるんですよね。自分が生まれた西有田町は農業の町で、田舎が嫌で早く佐賀を出たいと思っていました。ばあちゃん子だった自分は、祖母に長生きしてほしくて、癌の薬の開発に興味を持ち、東京の大学、大学院へ進み、大手製薬会社に就職しましたが、富裕層や先進国向けの、よく売れて、継続して飲み続けるような薬を開発せざるを得ない仕組みが、自分が目指す方向と合わないと思い始めました。そんな頃、東北で震災が起き、町の9割が流されてしまった南三陸町へボランティアで通うようになりました。月1回のボランティアツアーを主催して通ううちに、町の人たちとも仲良くなりました。町が流されたのに、町を出ていた人々が帰ってくる状況を見て、自分もふるさとのために何かしたいと思うようになりました。
門脇:それでUターン?。
佐々木:当時は子どももいて、都会は子どもにとっていい環境じゃないな、と思って。嫁さんと喧嘩したある日の夜、一人カッカしていた勢いで有田町の地域おこし協力隊の申し込みをガ―――っと書きました、熱い思いをそのまんま(笑)。それがUターンのきっかけですねー。
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岩楯:僕は2歳まで鹿児島、それから36歳までは東京に住んでいました。東京では長年広告業界で仕事をしていました。移住を決意した大きな理由は子育てでした。自分の仕事はどこでもできるので、候補地としては千葉とか山梨とかもあったんですが、最終的には妻のふるさと伊万里市に移住を決めました。
現在は、東京の仕事をやらせてもらいながら、地域じゃないとやれないことをお手伝いしています。自分が関われることは広告全般のことで、ライター業務、パンフレットやウェブのカスタマイズなどの仕事をしています。自分が東京からの仕事を地域に持ってきて、リモートできるようになりたいと思っています。
地域の皆さんにとって新たな発見や気づきを得てもらえるような取り組みの一つとして、「まちの大学」を立ち上げて、色々な人に参加してもらっています。
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安東:皆さん、佐賀に来てよかったと思うことは何ですか?
岩楯:やっぱり環境ですよ。覚悟を決めて家を買ったら、家の横にはなんと150坪の山林がついていました。その山林にアライグマが出てくるんですよ!東京で暮らしていたら絶対に検索しないような「アライグマ 駆除」というワードを検索している時、新しい人生の扉を開いたような気がしました(笑)。
子育てのことを考えて佐賀に移住したんですけど、子どもだけでなく親である自分自身も変わりました。東京に住んでいた時の話ですが、引っ越してくる直前、子どもが家で木琴を叩いたら、すぐにお隣から怒鳴り声が聞こえてきたんです。もちろん、悪いのはこっちなのは重々承知なのですが、こっちだと音のことを気にしなくていい。子どもが大声を出しても迷惑もかけないので、子どもを怒らなくなったかな。ピリピリと気にしなくなりました。それって一番いいことなのかもしれません。安東:なんか自然豊かでストレスとかが減るんでしょうね。うちは、大阪にいる時は子どもができませんでしたが、佐賀に移住したら子どもができましたよ(笑)。
岩楯:時間的な余裕もあるのでしょうねー。伊万里には大きな工場があり、周辺の道路が夕方17時を過ぎると帰宅ラッシュで渋滞します。家に帰る時間が早いと家庭での時間がいっぱいとれて、子育てもしやすいですよね。
門脇:それは言えてますね。私の知り合いにも、子どもが6人いる人がいますよ。
岩楯:6人?!それはスゴイナー!!佐賀は子どもを持ちやすく、育てやすい環境なんでしょうね。
佐々木:確かに人々にゆとりを感じます。埼玉にいた頃は、自分たち夫婦だけで育てている感じだったのですが、こっちに来たら、両親もいますし、その辺で遊んでいても地域の方が子どもを見ていてくれますし。みんなで子どもを育てているような感じがします。佐賀で子育てしててよかったなーと思います。
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佐々木さん企画の「うちやま百貨店」バッジ
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佐々木:カフェとかにも子連れで普通に行きますよね。
岩楯:そうですよね。都会のスタバなんて、子ども連れていくような雰囲気じゃないですもんね。佐賀だと、隣に座った人と話をしたりしますよね。都会ではまずありえませんしね。
門脇:都会では挨拶すらしないですよね。隣に誰が住んでいるかも分からない。でも佐賀だと、道を歩いていても、「おうっ」って声をかけてくれますし。人と人の距離がすごく近く感じます。
安東:そうそう!! 田舎って、最初は閉鎖的なんじゃないかと勝手に思っていたけど、向こうから声をかけてくれたので助かりました。
佐々木:閉ざされた田舎と思ったことはないですよね!
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門脇さん愛用の林業女子ヘルメット
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岩楯:皆さん、佐賀に良い印象を持たれていますね。生活面での満足度はどうですか?。
佐々木:佐賀に来て収入は減りましたけど、心の満足度は3倍くらいになりましたよ。
門脇:そりゃあ、収入面は減りますが、3万円で8DK、しかも庭付き!!やっぱりいいですよ、佐賀は。
安東:僕は食の面で魅了されています。大満足です。
佐々木:僕も佐賀に来て、もやもやがなくなりました。もやもやというのは、会社員のままでいた時に漠然と抱えていた気持ちですかね。会社の歯車になっていると、一生の予測ができて先が見えるんですよ。でも、先が見えるつまらない人生を子どもに見せたくないなと思っていたので、今は、自分がやりたいことをやって、地域とつながって、凄く充実しています。
安東:東京に行ったら、誰もが下を向いているように見えるけど、佐賀では、自分の周りにいる人たちがみんな生き生きした表情してるんですよ。そういう点ではすごく優越感に浸ってます。
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安東さんから皆さんへお土産の「森のアスパラ」
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門脇:月に1回は仕事で東京に行きますが、疲れちゃうんですよ、電車や人ごみに。お金を出せば東京にも美味しい店はたくさんあるけど、結局、こっちのほうが断然美味しいし。
安東:僕は「食」をきっかけに佐賀の魅力にはまって、佐賀で生きていくためには何ができるか考えた結論が「アスパラ」でした。自然の中でアスパラを育てて、地元だけでなく都会へ販路を見出すことで、顧客の可能性が広がりました。これは、地方だからこそできることでしょう? 嫁のふるさとに移住してよかったと思いますよ。
岩楯:それは僕も言いたい! 安東さんは奥さんのふるさとに一緒に帰ってきたわけですもんね。だからというわけじゃないけど、今、すごく流行らせてほしい言葉があるんですよ。それはね、「県外留学」。海外留学に対しては人ってポジティブでしょ。何か得て帰ってくるならいいじゃないですか。留学だから帰ってくるんですよ。それで、佐賀県が良くなるならいいことだと思いますよ。
佐々木:そうですね。佐賀に住んで東京の仕事をするのもいいし、またその逆もあっていいし、もう少し軽く考えてもいいんじゃないかな、と思います。飛行機があるから移動時間もそんなにかからない。仕事のフィールドは無限だと思いますよ。
安東:色々経験を積むと、子どもの時と考え方が変わりますよね。いい所がみえた時が転機なのかなと思います。
岩楯:佐賀は課題先進国だと僕は思っています。課題をいち早く解決できる場所なんですよ。今までの仕事をなぞろうと思ったら大都市のほうがいいけど、自分にしかできない、めちゃくちゃ面白いことをしようと思ったら、絶対に佐賀がいいですよ!僕は、もう見つけてしまったからやりがいしかないですよ。みんなやりがい持ってやってますよね。
門脇:そうですよね。私もやらされている感がある仕事よりも、自分がやりたい仕事をやっているから、毎日楽しい! ここにいる方はみんなそうですよね!
全員:そうそう!!
岩楯:佐賀のことを語りだしたら話が尽きないですね。また、機会があったら佐賀について熱く語り合いましょう!!
あゆみさんはずっと佐賀。
どうして佐賀から出なかったのですか?
『家族が大好き。
ずっと家族が近くにいる
環境に
いたかったから』
「小さい頃から両親、祖父母、兄や姉と一緒に暮らしてきて、その生活が当たり前で、とても居心地がよかったんです。だから、短大時代も佐賀から出るつもりは全くなく、家から通えるところに就職したいと考えて、保育教諭の免許を取得しました」
学生時代の賢太さんは?
『都会の有名企業に就職して、
いい給料もらって、
親に恩返ししたいと思っていた』
「高校時代はバスケ部に所属し、仲間と楽しく過ごしていました。進路は最初から県外に出ることを考えていました。佐賀を出た先輩たちの話を聞いていたら、都会の方が断然給料がいいというイメージがありました。都会の暮らしに憧れていましたが、今は佐賀の生活を楽しんでいます」
学生時代は何を思っていた?
『自分の学びたい分野は
東京しかなかった』
「高校時代から洋服の仕事がしたかったのですが、当時は自分が学びたいことが東京にしかなく、新宿にある専門学校へ進学しました。今と違って、雑誌やテレビが情報源だったので、友達とファッションや音楽について情報交換していたのが懐かしいです。あの頃は、もっと情報が欲しい、最新の情報を得たい、と思っていました」
東京での仕事はどうですか?
『佐賀のいいものを
世界に発信したい』
「好きなファッションの仕事に就けて良かったです。今、とても充実しています。東京で仕事をするメリットは、人、モノ、情報がたくさん揃っていることだと思います。色々な考え、意見、様々な業種の人と出会って、触発し合うことで新たなものが生まれやすいですね。
実は、将来的にはこれまでファッションの世界で培ってきた企画と流通のノウハウを活かして、佐賀のいいものを世界に発信できるような仕事もやってみたいと考えるようになりました。どれだけ佐賀好きなんだろう(笑)」